野生の息吹 その2

自然とか野生とか…。
東京に住んでいるとなかなか味わえないものだけど、
ふとした瞬間にそういうものに出会うと
“わーぉ!”ってビビるしか出来ない。

 幼い頃、友達と遊んでいた僕は、
道にうずくまって動けないで居る一羽の鳩を見つけた。
近づいても逃げようとしないし、
そっと抱き上げても暴れもしないでじっとしている。
まん丸な目は愛らしいがやはり元気がない。
 「病気なのかな?」僕らはそう話し幼い知恵を出し合って、
近所の動物病院に連れて行くことにした。
 その後の治療がどうなされたか記憶にないが、
全くお金を持っていないが鳩を思う僕らの気持ちを汲んで、
きちんと対応してくれたのは憶えている。
 そして「はい、もう大丈夫だよ。」の言葉に安心して
再び遊びに昂じたわけだ。
(あれ?鳩はどうしたか…憶えてないなぁ、笑)
まあ、そんな心優しいイサム少年だったので、
当然今でも心優しいイサム中年であるわけなのだ。エッヘン。

これは数年前の暑い真夏の日のこと、
道行く僕は一匹のアブラ蝉を見つけた。
そう。今度は元気のないアブラ蝉だ。
まあ、蝉自体珍しくもなんともないし、ましてやアブラ蝉だ。
「ああ、そろそろ短い生涯を終えるのかな。。」
とちょっと可哀相になり腕に留まらせ暫し一緒に歩いた。
「地上に出て一週間だもんなぁ…」とか「結婚できたかなぁ…」
「もうそろそろ飛んでいくかな?」などと考え歩いていると、
“チクッ!”僕の腕に激痛が走る。
あろう事か、蝉が刺したのである。
樹液を吸う為の針みたいな口?があるのだが
そいつを思い切りつき立てやがった。
“わーぉ!”である。
もちろん痛みのあまり、すぐさまアブラ蝉を振り払ってしまったよ。 
ゴメンよアブラ蝉くん。
いくら心優しいイサム中年とはいえ
俺は木じゃねえんだよ~!
樹液は出ねえよ~!!

そんな「蝉って刺すんだ~!」って学んだ夏の1日でした。
(※注 普通刺しません)


(^-^)v



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野生の息吹 その1

自然とか野生とか…。
東京に住んでいるとなかなか味わえないものだけど、
ふとした瞬間にそういうものに出会うと
“わーぉ!”ってビビるしか出来ない。

 先日の話だが、
朝飲食店の前を通るとき店先のゴミを掃除している方がいて
「朝からご苦労様です」って横目に見ながら行くと、
前方から来る男性が何故かやや上を見て屈むんだ。
と、次の瞬間…
後ろからナニモノかが僕の頭を“ワシッ!”って掴むのね。
  もう“わーぉ!”である。
 
内心ちょっとビビったが、僕も負けてらんない。
シャーってマッハで振り向く…ってか後ろ上を見上げたが、
もうヤツの姿は無い。「ちっ、すばしっこいヤツだ!」
見てないけど犯人はあの黒いヤツにちげーねー。
なぜなら、頭皮に残る(Y Y)みたいな感触!
(正確にはYのVの真ん中にもう1本)

「んなろーっ!」
って怒りもちょぴっとあったけど実はそうでもなかったんだ。

なぜかというと、意外と気持ちよかったんだよね。。
数年前にちょっと流行った“取っ手にハリガネ的な物が湾曲的放射状についていて頭頂部から下方向にハリガネ的なもので包むようにしてゾワゾワさせるなんじゃこりゃへんてこグッズ”(ツタワレ)
アレで1回ゾワってやられた感じ。
しかも絶妙なタッチで。
だからこの場合の“わーぉ!”は
ビビり半分、快い半分の不思議初体験。

カラスよ!
どうせならせめてゾワゾワゾワくらいやってくれよう!
という逆の怒りがこみ上げたぞ!

そんな、野生の息吹を肌(頭皮)で感じた朝でした。

(^-^)v






年賀状



今年も早いものでもう一年が終わろうとしている。
年の暮れ。 そう、師走だ。
さすがの師匠達も忙しさのあまり走り出すということから師走というらしいが、
この忙しい年の瀬にさらに追い討ちをかけるように年賀状というものがある。

本来は年が明けてから書く物であったのだろうが、いつからか受け取る側の事を考え正月中に届くようにと、暮のうちに書くものに変わってきたようだ。日本人らしい気配りの精神ともいえるだろう。たしかに年賀状とは煩わしさもあるが、大切にしたいこの国の文化の1つだ。

ところがこの年賀状を出すという風習自体、年々減ってきているのは事実だろう。僕自身ここ数年は新規で出す相手を増やすことはせず、出すのは決まって昔から出している相手のみである。
もちろん中にはEメールに切り替えた相手もいる。
よくよく考えてみると、会う頻度が高い相手ほどEメールに切り替えていて、
親戚関係を除いて、今でも年賀状でやり取りしているのは、中々会うことが出来ない、そんな方ばかりだ。

そう。年賀状だけのお付き合いというやつだ。

過去に何かのきっかけで年賀状のやり取りをはじめて、そのまま現在に至るような関係。
普段の生活では何一つ接点が無いが、年に1度だけお便りを出し合うようなそんな不思議な関係。
誰にでも一つや二つあるのではないだろうか…。




 少年が少年から青年になろうかという15才の夏、僕はかねてから夢だった一人旅に出た。
住んでいる街から千キロほど離れた母親の故郷までの一人旅だ。
当然、鉄道を利用しての旅だったのだが、利用した列車ほぼすべて各駅停車。
僕のような学生に金銭的余裕などあるわけも無く、ホテルなどは使わず夜行列車と駅ネ(駅のベンチで寝ること)で夜を明かす。
そして、わざわざ遠回りして途中下車しながら、一週間くらいかけて目的地を目指した。

さすがに五日目くらいになると寂しい気持ちもむくむくと現れる。
たまたま通りかかった家の食卓の窓から、お味噌汁のいい香りと共に夕飯時の楽しげな談笑が聞こえてきた時には、これがホームシックかと家族が恋しくなりこみ上げてくる物があった。
でも、時刻表と地図とをにらめっこして、計画を立てて自由に動く旅はたった一人だったけれど、気楽で楽しいものだった。

 そんなプチ放浪旅もこの日いよいよゴールを迎える予定だった。

とは言っても目的地である母の故郷は、まだこの先の港から船で更に三時間ほどかかる離島なのでまだまだゴールは遠い。

港に向かうローカル線に乗っていた僕は時刻表を素早くめくり、もう1本後の列車でもじゅうぶん船に間に合う事を知る。
そして、この旅最後の途中下車をする事にした。
 
この途中下車をするという行為、最近はあまり馴染みが無いかもしれないが、当時は有る程度の長距離のキップ(乗車券)を購入するとその途中にある駅には途中下車可能で、しかも有効期限もかなり長かったと記憶する。

さてその途中下車する駅を選ぶ基準なのだが、もちろん車窓を眺めて決める事もあるが、ある意味直感やひらめきに頼るところが大きかった気がする。


この場合もそうだった。駅名で決めたのだった。


「江田浜」(仮名)というその駅名、特に「浜」の部分に惹かれ、僕はふらっとホームに下り立った。
きっと白い浜辺があって青い松とのコントラストが美しいだろうなあ。

この旅で見たいくつかの美しい光景を勝手に頭の中で合成し、ぼんやり考えながら浜辺を目指したが、そこにあるのは護岸工事中のいつも近所で見ているような海辺の景色だった。
たしかに昔は浜だったのだろうな。今回ばかりは直感が当たらなかったようだ。
 
少々落胆したが折角なので付近を散策することにした。しかし、とり立てて観るような所も無かったし、真夏の日差しが堪らなく熱かったので、先ほどの駅に戻ることにした。


 「江田浜」という駅の周りは特に何があるというわけではない。


駅に寄添うように「江田浜食堂」(仮名)と看板を出した小さな店が一軒見えるだけで、あとはねぎ畑の真ん中に単線の線路が真っ直ぐに伸びているだけだ。
たまにディーゼルカーや貨物列車が油くさい臭いを残して過ぎ行く、どこにでもありそうなローカル駅だ。


二本の鉄のラインがご丁寧にも炎天下のなか、下からも二つ太陽を反射し照り付けてくる。
 兎に角暑かったので駅で水道水をがぶ飲みしていると、傍らから声を掛けてくる人があった。
顔をあげて見ると、人の良さそうな中年の男の人が笑顔で話しかけてくるのだ。白髪の混じり方から50手前といったところか。
方言も混ざるのでわからないところはあったが、その話し方や表情などから悪い人でないことは直ぐに分かった。
話の内容はどこから来たとかどこへ行くとかそんな他愛も無い話ではあったが、恐らく普段は人影も疎らなこの駅に見たことの無い少年が立って居るのを不思議に思い、あるいは心配して声を掛けてきたのであろう。 
そして、僕の目的がこの先の港から船に乗って母の故郷に行くことだと知ると、まあ暑いからと僕を自宅に招いてくれたのだ。実際には宅というか店だったが。


 「江田浜食堂」と先程見た看板を横目に暖簾をくぐると中に奥様と思しき女の人が居て軽く会釈を交わす。
ご主人は暖簾を仕舞いながら「何にも無いけどこれからうちらもお昼だから一緒に食べていきなさい」と昼食まで誘ってくれた。
 僕は「次の列車で港に行くので」と遠慮すると、車で送るから大丈夫と言いながら秋刀魚焼きとご飯とお味噌汁を持ってきてくれた。

 初めて会って数分後の昼食会だ。
ましてや奥様と思しき女の人とは、一言も話していないまま始まった不思議な昼食会だった。それでも今までの道中の事や、これから行く母の故郷の島の話などするうち徐々にだが自然と会話も弾んだ。何より久しぶりに食べた温かいご飯やお味噌汁、そして焼きたての秋刀魚が美味しかった。
 温かい食事をご馳走になった後、船に間に合うようにご主人の車で港まで送って頂いた。ご主人は運転しながら、釣りの話や最近出来た大きな橋のことなどを僕に笑顔で話して聞かせてくれた。


そして、僕は船に乗り目的地である母の故郷の島に予定通り夕刻到着し、僕のプチ放浪旅は見事ゴールを遂げたわけだ。

その後数日間は母の実家でお世話になり、暫く島の夏を楽しんだ。


旅から帰宅してからも「江田浜食堂」で感じた御厚意は忘れることが出来なかった。勿論あの時、港まで送って頂いた時に深く頭を下げ感謝の意を伝えてはいる。
 全くの赤の他人。しかも出会ってすぐの見知らぬ少年に無償の愛…というとやや大袈裟だが無償の御厚意を注いで頂いたという事が、都会育ちの自分には理解し難いというか経験の無い事だったのだ。


 そんな夏も終わり、秋から冬へと季節は変わり、年の暮れ師走に。
僕はあの時の感謝の気持ちを年賀状にしたため送ることにした。
普段、手紙などは書く習慣が無いので、ましてや礼状などとなるとかなり取っ付きにくかったが、年賀状ならば毎年書いていたので筆を執りやすかった。
 ところが、肝心な住所氏名も分らなかったので、住所は「江田浜駅」で調べ、宛名は「江田浜食堂」と書いて送った。

きちんと届くか不安だったが、無事に年賀状が届いたらしく、年が明け我が家へも返信が届いた。
届いたその年賀状には正しい住所や御名前も記されていたので、その翌年からは宛名は御名前で差し出したが、やはり「江田浜食堂」の名前は連名で添えた。


そうして始まった年賀状のやり取りは、今に至るまで数十年続いている。


 十年ほど前に母方祖母の法事の為、母の故郷の島へ行くことがあった。
折角なのであの夏以来「江田浜食堂」を親戚や家族とともに訪れてみた。
25年ぶりの訪問である。

 勿論、前もって連絡してからの訪問だったが、あまりにも時が経っている為はじめは戸惑うご主人と奥様だった。しかし、毎年年賀状だけはやり取りしていたので話も早く、もちろん当時の事もよく憶えていてくれて、会話も弾みついでにお酒もすすみ、楽しいひと時が過ぎた。
年にたった一回お互いを行き来するあの小さな紙が、こんなにも長い間人と人を結びつける力があるのだなあと不思議に思ったものだ。

少年の面影はすっかり消えてしまったであろう僕に向かって、当時と変わらない笑顔で接してくれるご主人と奥様にまた更なる感謝と郷愁の想いを強くしたのを今でも憶えている。




 先日、部屋の書類を整理していると、ある葉書に目がとまった。
忙しさにかまけていて確認していなかったのだ。
 おや、と思い手にしたその葉書は全体に薄墨色の字で書かれ一目でそれと分かるものではあるが、差出人を見てはっとした。

奥様から届いたその喪中葉書には今年ご主人が亡くなった事が書かれていた。
数年前の年賀状でもうお店は閉めたと書かれ知っていたが、僕の頭の中にはすぐさま、あの暑かった15才の夏の「江田浜食堂」が蘇り、ご主人と奥様の笑顔がいつまでも消えなかった。

銀杏の葉が舞う街並みを歩きながら、喪が明ける再来年にはまた年賀状を出そうと僕は思った。





Binh Dinh RAG 2

ROCKに憧れBASSって楽器を手にするも
中学高校と進むにつれて、だんだんと
ROCKのベースプレイよりもプログレ的なものや
フュージョンっぽいもののベースプレイに
傾倒していった自分がいたのだが、
やはり、音楽そのものはROCKが好きで
初期衝動を省みた時、
「やっぱROCKを演りたーい!!!」
ってBAND結成を呼びかけて
はじめたのが「Binh Dinh RAG」。

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もうアーティストのサポートとかお仕事は
少ししていたのだが、バイトしながら
「夢はこの新しく作ったBANDで!」
オレが27歳くらいの時で
めちゃ遅スタートだが
真剣だったよ。

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先ず声を掛けたのがVoのTsubasa。

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実は彼ともMUSEで知り合ったんだ。
学校で一番ROCKっぽい格好してたのに
オレと同じJAZZ科。
いっとき単身渡米して歌…じゃなくてダンスを、笑。


帰国後、Gtの鈴木タケシと活動をはじめ
ちょうどその頃、声を掛けBAND結成。

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1年くらいドラムが決まらなかったけど、
知人の紹介でDr下田武男に。


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そして93年からライブ活動。
もちろん目黒だけでは無く渋谷や三茶などで。

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目指したのは…
ぶっちゃけMr.BIGのようなハード・ロック。

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だから、同メンバー別ユニットの「Mr.PIG」なる
Mr.BIGのカバーバンドとしての活動もたまには。

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僕は平行して六三四(Musashi)にも加入したので、
飯塚含む六三四メンバーをゲストにライブしたり
その流れで和太鼓チームDa.k.to(ダクト)とコラボして
「Binh Dinh RAG And Da.k.to」略して「B.A.D」として
活動したり…。


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そんな「Binh Dinh RAG」。

残念ながら15年くらい前のライブを最後に
活動停止中。

Gtの鈴木タケシ…タケちゃんは地元北海道に帰ってしまったし。。。

でもね皆さん。

今度の僕のライブに
メンバー集結してくれることになりましたー!!!
そうタケちゃんも北海道から駆けつけてくれます!

この…
殆んど無名のこのバンド。
もちろんライブ会場の皆様、
ほぼ全員知らないこのバンド。

でも僕の夢だったこのバンドの
1夜限りの再集結。
暖かく見守って下さい!

サンタさんから僕への
クリスマスプレゼントだと思っています。


『瀧田イサム 聖なる!雷陣愚月Xmas!! 2017』
Binh Dinh RAG再集結スペシャル!!
日時:12月24日(日)
会場:THE LIVE STATION(東京 目黒)
http://www.livestation.co.jp時間:OPEN 17:00 / START 18:00
料金:前売¥5,000 / 当日¥5,500(共に 別途ドリンク代)
<出演> RISING MOON BAND
瀧田イサム(Ba)YU-ICHI(Gt)MAO(Key)下田武男(Dr)
ゲスト
Fuki(Vo) ISAO(Gt) MASAKI(Ba) 坂本尭之(Ba)
and more...

プレイガイド・イープラスにてチケット発売中!
e+(イープラス)
http://sort.eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002244207P0030001





Binh Dinh RAG 1

「BinhDinhRAG」読めねえよって、笑。。。
ビンディンラグと読みます。

GRやMinamiちゃんはもちろんアークストームで
プレイする以前にやっていたバンド。
リリースしたCD音源は無い。
デモテープ(カセット)を2本世に出しているのみ。(←現在入手困難)
でもわりと本気で命かけてました。

週1でリハして月1でライブして…。
結果が全てのこの世界で、
あまり華々しい結果は残せなかったけど、
僕のプレイスタイルの根源はビンディンにあると
今でも思っています。

1993に結成して10年くらい都内主にライブステーションで
ライブ活動していたこのバンドのメンバーとは…
TSUBASA(Vo) 鈴木タケシ(Gt) 瀧田イサム(Ba)下田武男(Dr)

そう。ドラムは下ちゃんなのです!

今回の『瀧田イサム 聖なる!雷陣愚月Xmas!! 2017』
場所は目黒ライブステーションそしてドラムは下ちゃん!!
と言うことで僕にとっては「BinhDinhRAG」を思い出さずに
いられないっす。。

なので当時の写真を揚げるので、
昔こんなバンドがあったんだなぁって思いながら見てね!!
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これはステーションかな?

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タケちゃんと、ワーォ!

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TSUBASA~見えてるよ~ん!

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下ちゃん~!

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オレ~髪の毛うざい中!

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オレとTSUBASA!

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モノクロもいいね。

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モノクロTSUBASAもいいね。

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お疲れさんでした~!

(^-^)v





プロフィール

瀧田イサム

Author:瀧田イサム
瀧田イサム オフィシャル・ブログへようこそ!

8月8日生まれ、神奈川県横須賀市出身。
中学の頃にベースを始め数々のバンドやセッション活動、アーティスト・サポート等を経て1995年には六三四Musashi、2002年にはアーク・ストームに加入し、テクニカルかつ流麗なプレイで辣腕を振るう。
並行してGRANRODEOやMinamiのサポート・ワークでも精力的に活動している。
2015年12月にはデビュー20周年にして初ソロ・アルバム『Rising Moon』をキングレコードからリリース。
2016にはJeff KollmanのJapan Tourにも参加。
使用楽器はコンバット製TAKITAモデル6弦BASS

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