ジングルベル

早いもので今年も残すところあと20日あまり…
ホント時が経つのが早いなぁ。
やらなきゃいけないこと山積みだけど
この時期のイベントの王様は何といっても
やはりクリスマスですよね。

最近はハロウィンにおされ気味で、
「街中がそわそわとクリスマス・ムード一色…」
なぁんて言葉も聞かないし、実際街を歩いても
そんな感じ全然感じないよね。
ただ僕自身が年をとっただけなのか
日本が震災を経てそうなったのか
それとも単純に時代の流れなのかわからないが。。。

でもクリスマスが冬の一大イベントなのは変わりない。



毎年クリスマスが近くなると
ふと思い出す場面があるんだ。
それはキラキラなものではなく
ちょっと切ない情景。


僕らが二十歳そこそこの頃のクリスマスは今とは違い
それこそ街中がそわそわとクリスマス・ムード一色といった感じ。
イルミネーションに照らされた街では
いたるところで山下達郎やユーミンのクリスマスソングが流れ
トレンディードラマを地で行くような若者たちが闊歩し
80年代半ばバブル景気とクリスマスで街も人もウキウキしてた。

そんな中、 ご多分に漏れず僕もそわそわと安物スーツに身を包み、
当時付き合っていた彼女をホテルのレストランのクリスマスディナーに誘い、
クリスマスプレゼントを渡すというバブリーなイブを過ごすため街に繰り出した。

彼女との待ち合わせにまだ時間があるのでどこかで時間をつぶそうと
お店を物色するも、どこもバブリーなヤングでごった返している。
かろうじて空いていたミスタードーナッツのカウンター席に陣取り
コーヒーを啜っていると、隣に座る初老の男性が何かを一生懸命に
書いているのが目に入った。

クリスマスの華やかに浮かれた世間をよそ目に
かなり汚れた作業着を着て一人黙々と白い紙に何か書いている。
良く見ると



ジングルベル ジングルベル  ジングルベル

 ジングルベル ジングルベル  ジングルベル

ジングルベル  ジングルベル  ジングルベル

ジングルベル ジングルベル  ジングルベル

 ジングルベル ジングルベル  ジングルベル

ジングルベル  ジングルベル  ジングルベル
………………


と呪文のように何度も何度も書き続けている。

最初見たときはちょっと怖くも感じたが、
じきに考えは変わった。

何かの事情でクリスマスを一緒に過ごすことの出来ない
ご家族や子供たちのことを思い無心で書き綴っているのか、
であるならば、来年こそはその願いが叶うといいな…

バブリーに背伸びをしてる自分がちょっと恥ずかしくなったし
いろんなことを考えさせられた。

彼女との待ち合わせの時間が迫りその場を後にし、
僕はバブリーなイブを過ごしたわけだが、

あの男性にその後幸せなクリスマスを迎える日が来ただろうか。
毎年この時期、僕の脳裏にあの情景が浮かんでは消える。


いろいろな形はあれど幸せな日であって欲しいと思うな
クリスマス。



さて今年もmokichiのクリスマス企画に参加します。
詳しくはhttp://www.mokichi.org/

みんなが幸せなクリスマスをすごせますように!!






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熱い視線

超久しぶりのいさむ白書はボクが高校生だった頃の話。

僕の家は横須賀の市街地にあるのだが、
通っていた高校はそこから電車で南へ20分ほど。
近くには三浦海岸という有名なビーチもあったり良い所なのだが
基本のんびりした田舎でもある。

そんな田舎の高校で僕が入っていた部活はズバリ「ロック部」
なんちゅうか「けいおん」とか、そんななまやさしい感じではない。
なんたってロック部だからな~!
週二回の部活の日は防音の教室でレインボー、ジューダス・プリースト、アイアンメイデン、スコーピオンズ、UFO…。
ハード・ロック三昧!
まあ今思うと、まわりが畑や山だったので多少の音漏れはOKだったのかな。。。
恵まれた環境だったな。

実際、ロック部からはUNITEDの故横山やZIGGYの初代メンバーも輩出しているし、
X JAPANの故HIDEも出入りしてた。
ロック畑ではないが今度の僕のアルバムで素晴らしいソロをとってくれた
コモブチキイチロウ君も在籍していた、すんごい部なのだ。

そんな感じで、来る日も来る日もロックに明け暮れていたわけだが、
ある日、ゲイリー・ムーア大好き速弾きギターのS君が
「最近フュージョン聴いててさあ…」
「フュージョン?」
まあ、僕もTVなどで見て知ってはいた。
「あ、あの歌がなくて楽器でメロディー弾いたりするやつだよね…」
「これイイよ!」
って1枚のレコードを貸してくれた。
『EYES OF THE MIND』というカシオペアのLP。

これを聴いてからの僕は不覚にも、ロックのベースが退屈に感じるくらいハマってしまった。
フュージョンの世界ではベースが花形楽器なのだから!
毎朝S君とカシオペアなどのフュージョンの話をしながら通学。

そんなある日、雑誌だか新聞だかで偶然見つけた広告に、
「カシオペアLIVEレコーディングの為LIVE無料ご招待!」
という記事を発見!
こっ!これは行くっきゃない!!
「ねえねえS君~!これ!!!」
当然S君も目んタマ飛び出し驚き…
「タキタ君でもこれ、平日だよ。。。」


まあ、僕らの熱意は平日ごときで挫ける筈もなく…
平たく言うとサボったのかな、笑。
で、東京のLIVE会場に昼ごろ到着!
整理券かなにかもらったのかな、
記憶があいまいだが、
LIVEの記憶はしっかりと残っている。
まさにロックさながらの白熱のLIVE!
コブシを振り挙げてノリノリになったのを憶えている。
それが『MINT JAMS』というLIVEアルバムになっている。

高校生時代のボクが熱い視線をおくっていたカシオペアの
ベーシスト櫻井哲夫さんと同じステージに立てる日が来るとは
夢にも思わなかったことである。

11/10ベースの日前夜祭。
おもいきり楽しみながらプレイしようと思う。

あ…じゃなく、おお!雪!!!!

あ、雪!どころではない。

13年ぶり?に大雪警報らしい!

大雪と言えば僕が18歳位の時の大雪の年を思い出す。

専門学校(ミューズ音楽院)に入学するための資金作りで

新聞配達をしていたのだが、来る日も来る日も雪で…。

トホホと泣きたくなったが逆に笑っちゃう、それくらい降った。

人や車の往来がまだ少ない早朝はとくにひどかった。

積雪は平均ひざ丈くらいで、吹き溜まりには1mくらいの雪が積もっていた。

北国での話ではなく僕の故郷の横須賀での話だ。

スーパーカブというバイクにうず高く新聞を積み、

積もった雪を掻き分けながら少しずつ進んでいく。

靴下の上にビニール袋を履き、その上から更に靴下を履いた足は

それでも凍りつきそうに痛い。

早朝の3時半頃に配り始めて配り終えたのが昼の2時近く。。。

え!もう夕刊の時間じゃないすか(笑)!!!!


誰にもけがされていない朝の雪は

憎らしいけど美しく

今も僕の脳裏に浮かんでは消える。













以下コメレスです。

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僕のジャズベ(後編)

 中学校を卒業した僕は、浮かれ舞い上がっていた。 
 “一生モン”の楽器を手に入れ、志望校(普通の県立高校だけどね)にも、なんとかギリギリ合格(頭的に)できたし…。あとは、高校という新たなるステージで、友達もいっぱい作って学校生活をエンジョイして…あわよくば、このジャズベを武器に女の子にモテちゃったりなんかして…あんなことやそんなこと…などと調子のいい妄想ばかりしていた。
 そしていよいよ、高校生活がスタートして、音楽の話題などで盛り上がれるクラスメイトも何人か居て、楽しくなりそうな予感の中、初めての体育の時間がやってきた。

 当時、イキがっていた僕らは、今でいう所の“腰パン”のようにジャージのズボンを下げめに穿いて、両手をズボンの中(けっしてポケットではない)にツッコミ、「寒み~い。」とか「かったり~!」とか言いながらガニ股で歩くのが、主流というかトレンド?だったのである。まるでバカみたいである。
 話をもどすが、ましてや入学して初めての体育の授業である。僕はいつもよりズボンの下げ幅も大きく、ガニ股で颯爽と階段を下りていた。アホではあったが、希望に満ちた清々しい朝だった…。

 そこに、若くてキレイな(余談だがムネも大きい)女の先生が階段を上りながらこう言った。「1年3組のタキタ君いる?」  
 声をかけられワクワクした僕は、イキがって片手をズボンに突っ込んだまま「ウイーッス!」と応えた。
 ニコニコの僕に、女の先生は笑顔と真顔の間でこう言った。

 「イマオウチガモエテルンダッテ。」

 「はい?」

 良く状況が呑み込めず、もう一度訊く。

 「イマ、オウチガ、カジデ、モエテルンダッテ!」

 今でも、この若くてキレイで(余談だがムネも大きい)女の先生が、おっきな目を更に大きくして喋っている姿が目に浮かぶ。

 オウチガモエテル…

 この現在進行形の「モエテル」がどれほど僕を焦らせたか想像して頂けるだろうか。はらほろひれはれ~!早く消さなきゃ!!!っと、軽くパニックになりながらも、落ち着きを取り戻し、取るものも取りあえず“モエテル我が家”に急いだ。
 もはやイキがってなどいられない、神様仏様~!である。目を閉じると、メラメラと燃えてる我が家がまぶたに浮かび、家にいるはずのおばあちゃんの事、庭につながれた犬のチコの事、そして、我が家に来たばかりの僕のジャズベの事…。電車で揺られる20分間いろいろなことが頭の中を駆け巡る。こんな時に人間は、悪い方へ悪い方へと考えが及ぶもので、電車を降りる頃には、いつか見た火事現場の記憶のように、頭の中の我が家は、何もかも燃え尽きて真っ黒い柱だけになっていた。
 はたして、我が家に到着してみると、かろうじて壁は残るものの、やはり見るも無残な状況になっていた。もはや火は消し止められているが、あちらこちらから白い煙の筋が立ち上がり、上からは水が滴り落ち、何よりもそのニオイの強烈さに、「何もかも全部燃えちゃった。」と認識せざるを得なかった。「ガクン!」と音が聞こえるような気がするほど心が落ちた。
すぐさま、傍らで泣いている母と姉に、おばあちゃんとチコの安否を確認し、その後、白衣を真っ黒くした親父とも合流できた。

 僕の両親は家から徒歩1~2分の所で和菓子屋を営んでおり、火事の発生した朝9時頃はお店の方にいた。その店から数歩ほど戻ると高台にある我が家が見えるのだが、母がちょっとした用事で家に戻ろうとした際に火事を発見し119番して、親父と二人で家に向い、お鍋に水を汲みせっせと消火しようとしていた祖母を外に避難させ、鎖でつながれたチコも避難させたという。
 姉は会社で、僕は高校なので心配はない。あとは消防隊の到着を待つのみという段になり、僕の親父は、息子が最近買い大切にしているであろう楽器の事を思い出してくれた。そして、かなり火もまわり、煙も充満していると思われる家に再びとび込んで僕のジャズベを救出してくれたのだ。ハードケースに入っていたのだが、ケースには真っ黒いススがいっぱい付いていて火事の激しさを物語っていた。そして、和菓子屋の白衣も真っ黒になってしまったのだ。
 後の調べで、火事のレベルは“全焼”。出火原因は“不明”という事だ。 ほとんどの物が、火や水でダメになってしまったが、家族(チコも含め)が全員無事で絆が深まった気がした。そして、僕のジャズベも無事だ。 ガクン!と落ちた心も、また、すぐ上を向く事が出来た。
 
 親父が亡くなってもう18年の歳月が過ぎようとしている。
 「ありがとな!親父!」

 僕のジャズベにはこんな親父の魂も宿っているような気がする。




僕のジャズベ(前編)

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 現在発売中のベースマガジン今月号(11月号)でMARKBASSのエフェクター試奏レポとそれに伴ったCD音源を担当させて頂きましたが、チェックして頂けましたでしょうか??
このベースマガジンという雑誌は、ベーシストにとって唯一のベース専門誌ということで、アマチュアの方はもちろん、プロのベーシストの愛読者も多く、そこに音源をとなるとかなりの緊張感が…(笑)。でも光栄なことです。
  さて、今日はその時使用した‘78年製のFender Jazz Bassについてお話したいと思います。

僕が生まれて初めてベースを購入した際のドタバタは、このブログで“ベースを買いに”と題して記しているが、僕にとって2本目のベースがこの‘78年製のFender Jazz Bassなのだ。ちなみに1本目のベースはFresher Jazz Bass。
 ん?となる方も多いと思うが、フェンダーではなくフレッシャー。そう、紛れもない類似品である(笑)。当時はこんなのがイッパイあって…いや、こんなのだらけでオリジナルのギターやベースの方が少なかったくらいだ。gibsonを真似たgre〇〇や、Fenderに似せたFresherやFounder…他にもたくさん(笑)。数え上げたら枚挙に暇がないし、楽器メーカーさんに怒られそうなのでこの辺で話を元に戻すが、1本目もまぁジャズベ(っぽいもの)だったのだ。
 そんななか、僕が次に欲しくなったベースはジャズベではなく、なんと8弦ベースだったのだ。何故かというと当時僕はCheap Trickというバンドにハマっていて、そこのベーシストであるTom Peterssonの掻き鳴らす12弦ベースに憧れまくっていたのだ。ズンッ!というベースの音とジャリン!というギターの様な音の混じった独自の重厚な音、そして見た目(主にペグの数的な)のインパクトとTom自身のカッコよさが相まって、もう“12弦やべー!欲しい!”という状態に…。しかし、当時ここ日本での12弦ベース販売はしておらず、入手困難。でも同じく“複弦ベース”である8弦なら、Key製のオリジナル8弦ベースが売っていたのである。
 ここで、軽く“複弦ベース”というものを解説すると、僕が普段愛用している6弦ベースは“多弦ベース”と言われ、4弦より多い(調弦の違う)弦を有するモノを指すが、一方“複弦ベース”は12弦ギターのように2本以上の弦が、同じもしくはオクターブに調弦され、複数弦で一つのユニットになっているモノを指す。だから、8弦ベースは2本で1ユニット、12弦ベースは3本で1ユニットなわけね。
 とまあ、そんなこんなで、8弦ベースを買う気満々だったのだが、実際に試奏してみたらTomの様なロックっぽい音は出ず、もっと繊細で綺麗な音が…。それはそれでとても良い音なのだが求めているモノとは違うかなと。それもそのはず、Tomはピック弾きで12弦、僕は指弾きで8弦だ。
 そんなある日、一緒に楽器屋に行ってくれた友人のI君がショーウインドウを指さしアレ(8弦)を買うならコッチを買った方がいいと、しきりにある楽器を奨めてくるのだ。“フェンダー買ったら一生モンだぜ!”彼のこの一言で決めたといっても過言ではない。そう、その楽器がFender Jazz Bassなのだ。
 さて、8弦ベースからフェンダーへシフトチェンジした僕の脳は、次に購入資金を工面する事を考えるわけだが、僕の記憶だと8弦ベースが17万、フェンダーが26万くらいだったと思う。 約10万の差があるわけだ。しかし、はなっから貯金なんて果てしなく無かったし、バイトしかないなと新聞配達をせっせとこなし、なんとか頭金くらいは溜めて、いざ丸井へ!
 丸井?と思われた方も多いと思うが、当時の丸井は楽器屋さんも入っていたし“赤いカードでクレジット”なんて言って、赤いカードさえ作っちゃえば、高~いモノでもなんでも月賦(ローン)で楽々何でも買えちゃうもんね!という空気で充満していたのだ。 そしてご多聞にもれず、僕も月賦(ローン)で買うなら丸井かなぁなんて思い、赤いカードを作って新品の‘78年製のFender Jazz Bassの購入に至ったわけである。
 注文から待つこと数週間。やっと届いた僕のジャズベは勿論キズ1つ無くピカピカ。フレッシャーのそれとは違うズシリとした重みに、“ああ本物の重みかぁ!”と喜び、出す音一つ一つに“一生モンの楽器かぁ!”とはしゃいでいたのだが…。
 到着して1週間足らずで、この楽器があのような災難に巻き込まれる事など誰が想像できたであろう。            後編に続く。

プロフィール

瀧田イサム

Author:瀧田イサム
瀧田イサム オフィシャル・ブログへようこそ!

8月8日生まれ、神奈川県横須賀市出身。
中学の頃にベースを始め数々のバンドやセッション活動、アーティスト・サポート等を経て1995年には六三四Musashi、2002年にはアーク・ストームに加入し、テクニカルかつ流麗なプレイで辣腕を振るう。
並行してGRANRODEOやMinamiのサポート・ワークでも精力的に活動している。
2015年12月にはデビュー20周年にして初ソロ・アルバム『Rising Moon』をキングレコードからリリース。
2016にはJeff KollmanのJapan Tourにも参加。
使用楽器はコンバット製TAKITAモデル6弦BASS

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